私の原点―山下格先生のこと 



 大学時代のこと、とりわけ勉学について私には語る資格がないかもしれない。放射線科の卒業試験で教壇に現れた初めて見るジャケットを着た人物について、隣りに座った級友に「あれは誰?」と尋ねたところ、何を冗談を言ってるのかと言わんばかりに「おいおい、入江教授じゃないか」と素っ頓狂な声で返された。それを聞きつけた周りに失笑が起こった。授業に出ないことで有名だったので、卒業が決まった時に出席番号が1つ前の友人―彼がいなければ卒業はできなかった、教養部時代からずっと私の代返をしてくれていた―に、「お前ほんとうに医者務まるのか?病院には何があっても行けよ」と真顔で言われた。
 6年ほど前に、大学同期の、旭川医大泌尿器科教授を務めている柿崎君が浜松に講演に来るというので、現在浜松医大副学長の、やはり同期の渡邉君の肝入りで3人で食事をすることになった。大学時代の話に花が咲き、件の卒業試験の話になった。精神科の卒業試験の話を始めると、2人とも首を傾げて覚えていないと言う。精神科の卒業試験1問目は、様々な症状の見られる(おそらくうつ病とおぼしき)患者が目の前に現れた時に、あなたはどのように考え、どのような手立てを講じるかといった内容だった。その問題をよく覚えていたのは、卒業謝恩会の席上で、当時精神科教授であった山下格先生がなぜそのような問題を出したのかを解説してくれたからである。じつは、北海のひぐまと称されていた北海道選出の中川一郎代議士が、卒業の年の1月に札幌のホテルで自死したことがきっかけということだった。前年代議士の秘書から一度診察をしてほしいと頼まれていたのだが、スケジュールが合わずに結局診察は叶わなかった。話を聞いて(うつ病を)疑っていたのだから、私にはもう少し打つ手があったはずである、というのである。精神科ではなく他科に行く人がほとんどであるが、こういう患者さんは必ずみなさんの前に現れることがあろうから、みなさんにも考えておいて欲しかった、という話をされた。学生から絶大な尊敬を集めていた山下先生ならではのエピソードなのだが、真面目な学生だった2人の教授はその場面に覚えがない、という。精神科実習での、山下教授の初診風景についても話をしてみたが、それも2人にはあまり記憶がないというのである。
 初診は、広い診察室で、診察机が舞台のような具合の配置になっていて、多くの医局員と実習生が部屋のぐるりを囲む形で息を詰めて見守っていた。初診の患者が医局員に伴われて入室し、山下先生の前に座る。すると、先生は、まず特殊な面接の構造や診察の流れについて、分かりやすい言葉でゆっくり説明された。それから、来院の動機や主訴の確認をしながら、過去に遡って、その人の人となり、学校時代の様子や友人関係、仕事の内容や仕事場の様子、趣味や特技などについて、かなり事細かに穏やかで丁寧な口調でお聞きになった。1時間ほどの診察の最後に、眼底鏡で両目を確かめ、頭から足まで神経学的な所見を一通り取った後、先生は視線を落としてじっと考え込まれた。私には、その沈黙がとても長く感じられ、先生と患者、医局員たちの様子を何度も眺め回した。医局員は、じっと山下先生を見ていた。どうなっちゃったんだろうと思う頃、おもむろに山下先生が口を開かれた。言葉を選びながら、<あなたがどうして今の状況になったのか>を先ほど聴取した様々な情報を織り込んで説明されていった。目の前の患者の人生が一遍の物語のように滔々と語られ、「診断」というのとは違った思いがけない展開にワクワクするような新鮮な感動を覚えた。「私はこんな風に考えたのですが、いかがでしょう?」と山下先生が控えめに患者に問いかけると、その女性患者は得心したように頷いた。その後、少し気持ちが和らぐかもしれませんと、何か薬を出されたんじゃなかったかと思う。そして、医局員の一人の名前を呼んで、「〇先生という方ですが、今後あなたの主治医を務めていただきます」と患者に紹介した。すると、名指しされた医局員が立ち上がって、「よろしくお願いします」と患者に頭を下げた。
 山下先生は、平成26年12月1日に86歳で亡くなられた。大学の同窓会新聞に載った久住現北大教授の追悼文には、「山下先生の患者さんに対する診察は、どんな場合にでも十分な時間をかけて、大変丁寧で誠意にあふれており、相手の気持ちを自然に開かせるような、まさに職人芸そのものでありました」とあり、また、「精神医学」に掲載された当時群馬大学精神科教授の三國雅彦先生の追悼文には「北大教室では毎週,新入院患者の教授診察がありますが,大変丁寧で誠意にあふれた先生の面接の様子‥」と記述されており、私の記憶がそれほど偏ったものではないことがお分かりいただけると思う。今にして思うと、山下先生の面接手法はかなり力動的な色彩の濃いものであった。先生は、若き日精神分析に憧れ、ニューヨークに留学中の2年間コロンビア大学の精神分析研究所などに通って教育分析を受けておられたそうである。
 同期の2人の教授から、「君は精神科医になるべくしてなったということだよ」と言われたが、やはりそういうことなんだろうと思う。私の精神科医としての原点には、山下格先生がいるんだなとつくづく思い当たる。今回編集部にお願いして、山下先生のことを書かせていただくことにしたが、自分が大学時代に見た先生の診察を手本としてこれまで歩んできたことを再確認できた。学生時代、山下先生は私にとって医者として遠い憧れの存在だったが、今もなお精神科医の私の憧れでありつづけている。

                        児童分析臨床研究会会報(2021)所収

2022年08月10日