うつの話 3

今回も「うつ」をめぐる話です。前回まで取り上げたうつ病以外にも、以前お話したように「うつ」が生じてきます。今回は、うつ病と、うつ病以外の「うつ」(ここではうつ状態と呼んでおきます)について、ケースを見ながら、比較対比してみたいと思います。

まずは典型的なうつ病から-。

<ワタナベさんの場合>

豊橋に転勤してきて二ヶ月。三十半ばのワタナベさんには、奥さんと幼稚園児の娘さんがいます。新しい営業所に早く慣れるよう気を張り、家族の生活がスムーズに運ぶように気を配った、慌ただしい二ヶ月でした。そんなある日から、朝起きづらくて頭がぼーっと重たく感じられるようになり、出社がどうにもおっくうになってきました。口がまずくて食事が進まなくなりました。何をしても感情が淡くなったような、面白くも楽しくもないような気分です。テレビの画面もただ目の前を流れるだけで頭に入ってきません。夜は、仕事のことを考えると、堂々巡りになって目が冴えて寝付けません。やっと眠れても二時間で目が覚めてしまいます。夜、奥さんを求める気にもなりません。仕事に出ても、物忘れやミスが多い気がして、じりじり焦る気持と、会社に迷惑をかけているような後ろめたい不安が頭から離れません。最近ではいっそのこと、自分がこの世にいない方がいいのでは、といった考えが頭をかすめるようになりました。笑顔が消え、ため息ばかりの様子を見かねた奥さんに、引っ張られるようにしてクリニックを訪れました。

うつ病の人は、自分のうつをなかなか認めたがらないことも多く、ワタナベさんのように家族に伴われてやっと来院されるケースもあります。


<ミエコさんの場合>

息子さんが小学校へ上がるのを機に、ご主人の両親と同居しました。ご主人は出張続きで家を空けることが多く、子供のこと、義父母のことなど、ミエコさんが一手に対応しなくてはなりません。姑は静かな夫婦だけの生活に慣れているせいか、孫のにぎやかな様子が気に障るらしく、ミエコさんに子育てや躾について再三小言を言うようになりました。元来勝気なミエコさんも最初のうちは黙って聞いていましたが、さすがに何度目かには姑に言い返していました。それからというもの、家の中はぴりぴりと張りつめた雰囲気です。そのうち、ミエコさんに異変が現れてきました。急に胸の辺りが締め付けられるような息苦しさが出てくるようになり、不安でたまらなくなりました。イライラして子供やご主人に当たってしまうようにもなりました。それでも友人と食事や買物に出かけると、不思議と晴々として明るく生き生きとした自分を取り戻せるのです。が、しかし家に帰るととたんに気が重くなり、息苦しさが込み上げてくるのです。友人から「うつ病」ではないかと指摘されて、慌ててクリニックへ来られました。

このタイプのうつ状態は、二十代から四十代の、とくに女性に多く見られます。うつ病と比べて、状況によって気分変動が大きく、自分にとって好ましい状況ではほとんどうつを感じさせない状態にまで変化します。うつ病の人が好ましい環境にあっても、晴々と寛げず、一緒にいる相手に気を使ったり、こんな風にしてもいいものかと自問したりするのとは対照的です。家庭や職場といった環境、とりわけ人間関係がミエコさんの場合のように分かりやすい形でうつ状態の原因になっていることが多いものです。



<メグミさんの場合>

高校に入学したものの、何か学校の雰囲気に馴染めないような気がして、登校がおっくうになってきました。メールをやりとりする友だちはいるにはいるけれど面倒はいやだからあまり深い話はしません。訳もなくイライラすると、カッターで腕を傷つけるようになりました。腕に滲んでくる血を見ると、やっと生きているような実感がして、胸が軽くなるのです。何もする気がなくなって、食べる気もなくなってそのままスーッと消えられたらいいといつも思うようになりました。学校の保健室で、メグミさんは腕に付いたたくさんの傷を教師に見つけられクリニックの受診を勧められました。

これに、女性だと拒食や過食といった食行動の異常を伴うこともあります。男性では自傷や食行動異常ではなく、こだわりや引きこもりといった形で表現されます。このうつ状態はちょっと厄介です。一見原因とおぼしきものがはっきりしないのです。しかし、丹念に誕生からの生育の様子を聞いていくと、小さい頃充分に甘えられなかったり、自分の存在を主張できなかったり、といった発達上の不足が認められることが多いものです。発達のやり直しのような精神体験を経ないと将来的に社会と折り合っていくことが難しいのが実情です。


「うつ」と一口に言っても、いろいろな種類のあることがお分かりいただけたかと思います。ところで、うつ病とその他のうつ状態に分けるのにはそれなりの理由があります。それは治療の方向が異なってくるためです。うつ病の治療は(休養は当然のこととして)薬物療法が中心となります。脳内の滞った信号伝達を改善する抗うつ薬という種類の薬が奏功します。一方、エミコさんやメグミさんのようなうつ状態の場合、正直なところ薬の効きはうつ病ほどは期待できません。そこで、精神療法やカウンセリングが治療の中心になってきます。

薬物療法?精神療法やカウンセリング?そうです、次回は一般に分かりにくく誤解の多い、心療内科・神経科の治療についてお話しましょう。

2004年07月01日